かつて、夜の静けさをそのまま音楽にしたようなバンドがいた。
福岡発の4人組バンド、yonawo。
ソウル、R&B、ジャズ、ヒップホップを自然に溶け込ませたサウンドと、荒谷翔大のどこか眠気を帯びた歌声は、多くのリスナーにとって深夜の風景そのものだった。
「ミルクチョコ」「矜羯羅がる」「tokyo」などの楽曲が広く支持され、コロナ禍以降の国内インディーシーンを代表する存在へと成長していった。
しかし2023年末、荒谷翔大はバンドからの脱退を発表する。
yonawoという居場所を離れる決断は、多くのファンにとって予想外の出来事だった。
その後2024年より本格的にソロ活動を開始し、自身の内面をより直接的に表現する音楽へと歩み始める。ソロ作品ではyonawo時代よりも個人的な視点や感情が前面に押し出されていることが特徴だ。
そして今回公開された新曲。
そこには、確かにyonawoの面影が残っている。
しかし同時に、まったく新しい荒谷翔大の姿も映し出されていた。
yonawo時代との違い
yonawoの楽曲は「夜」という言葉で語られることが多かった。
実際には単純なシティポップでもネオソウルでもなく、バンド全体で作り上げる空気感そのものが魅力だった。
荒谷の歌声は楽器の一部として機能し、感情を強く主張することは少ない。
どちらかといえば、リスナーに解釈を委ねる音楽だった。
しかしソロ以降の作品では変化が起きている。
歌が前に出ている。
言葉がより明確になっている。
そして何より、自分自身の人生や感情を真正面から描こうとしている。
ソロ活動開始後の楽曲群では、「ひとりぼっち」や『TASOGARE SOUL』に象徴されるように、自身の孤独や葛藤、再出発への思いがよりストレートに表現されている。
新曲から感じる「昼」の音楽
今回の新曲を聴いてまず感じるのは、音の開放感だ。
yonawo時代が深夜2時の音楽だったとするなら、この曲は夕暮れ前の音楽に近い。
もちろんメロウな質感やソウルミュージックへの愛情は変わらない。
だがサウンドは以前よりも明るく、軽やかだ。
ギターやキーボードの響きも透明感を帯びており、閉じた部屋の中ではなく街の風景へ向かって開かれている。
その変化は近年のソロ作品や客演作品にも共通している。
TAIKINGとの「Step By Step」やさまざまなコラボレーションでも、荒谷はよりポップで自由なボーカルアプローチを見せてきた。
今回の新曲もまた、その延長線上にある作品と言えるだろう。
それでも変わらないもの
一方で、変わっていない部分もある。
荒谷翔大のメロディには独特の「余白」が存在する。
派手な高音で感情を爆発させるのではなく、少し力を抜いた歌唱で聴き手の心に入り込んでくる。
それはyonawo時代から変わらない魅力だ。
どれだけアレンジが変わっても、どれだけ活動形態が変わっても、その声を聴けば荒谷翔大だとわかる。
それはソロアーティストとして最も大切な個性なのかもしれない。
荒谷翔大は「脱退後」を歌っている
バンドを離れたアーティストの多くは、過去と比較され続ける。
だが今回の新曲を聴いていると、荒谷翔大自身はもはやその比較の中にはいないように思える。
yonawoを否定しているわけではない。
むしろその経験を抱えたまま、新しい景色へ歩き始めている。
夜を歌ってきた男が、少しずつ朝や夕暮れを歌い始めている。
そんな印象を受ける。
だからこの新曲は単なる新作ではない。
荒谷翔大というアーティストが、自分自身の物語を新しく書き始めたことを示す一曲なのだ。
これから先、彼の音楽はさらに変化していくかもしれない。
しかしその変化こそが、今の荒谷翔大を最も魅力的な存在にしているのではないだろうか。