LAUSBUBは、2020年に北海道札幌市の同じ高校の軽音楽部に所属していたRico(岩井莉子)とMei(髙橋芽以)によって結成されたニューウェーブ/テクノポップ・ユニットである。まだ高校生という年齢でありながら、インターネットを通じて急速に注目を集め、“高校生テクノバンド”という異例の存在としてシーンに現れた。
その出発点から最新シングルに至るまでの流れを追うと、LAUSBUBは単なるバズ現象ではなく、明確な音楽的進化を続けているアーティストであることがわかる。
軽音楽部から始まった異例のキャリア
LAUSBUBの転機となったのは、高校生時代に公開されたライブパフォーマンス映像だった。制服姿でありながら、ニューウェーブ/テクノポップをベースにした精密なシンセサウンドを鳴らすその姿は強いコントラストを持ち、SNSを中心に一気に拡散される。
その結果、SoundCloudでは世界的チャートで上位にランクインするなど、インディーシーンとしては異例のスピードでグローバルな注目を集めた。
ここで重要なのは、「高校生が珍しい」というだけではなく、音楽そのものの完成度が初期段階から評価されていた点にある。
テクノという選択の意味
LAUSBUBの特徴は、ギター中心のロックではなく、シンセサイザー主体の電子音楽を軸に据えている点にある。
これは単なるジャンル選択ではなく、現代的な制作環境との親和性の高さを示している。DAWや宅録文化を前提とした電子音楽は、年齢や場所の制約を受けにくく、むしろ個人のセンスや構築力がそのまま作品に反映される。
高校の軽音楽部というローカルな環境から、世界的なエレクトロニック・ミュージックの文脈へと接続してしまう構造そのものが、LAUSBUBの独自性だと言える。
初期作品:ミニマルなテクノポップの輪郭
初期の楽曲群は、ミニマルなシンセリフと抑制されたビートが特徴で、無機質でありながらもどこか人間的な揺らぎを残すサウンドだった。
この時期のLAUSBUBは、まだ実験性が強く、楽曲構造もシンプルで、テクノポップの基本形をなぞりながら独自のスタイルを模索している段階にある。
その後リリースされたEP『M.I.D. The First Annual Report of LAUSBUB』では、その方向性を維持しつつも、楽曲の幅や構成力が徐々に拡張されていく。
「Solaris」以降に見えた音像の変化
転機のひとつとなったのが「Solaris」である。この楽曲では、それまでの直線的なテクノポップから一歩進み、アンビエントやエレクトロニカ的な質感が前面に押し出されている。
リズムの強さよりも音のレイヤーや空間性が重視され、LAUSBUBの音楽は「踊るための音」から「空間を描く音」へと変化していく。
この段階で彼女たちは、単なる高校生バンドではなく、サウンドデザイン志向の強いエレクトロニック・ユニットへと進化し始めている。
アルバム『ROMP』での世界観の確立
2024年にリリースされた1stアルバム『ROMP』では、これまでのシングルで試みられてきた要素が統合される。
ミニマルなテクノ、アンビエント的な質感、ポップなメロディが共存しながらも、アルバム全体として一貫した世界観が構築されている。
この作品によってLAUSBUBは、「バズした高校生」から「継続的に作品世界を構築するアーティスト」へと明確に移行したと言える。
最新シングルが示す現在地──ポップと拡張の交差点
最新期のLAUSBUBは、より外部との接続性を強めている。
新曲「higher」がCMソングに起用されるなど、商業メディアとの関係性が拡大し、さらにドラマ主題歌として「sign」のリリースも予定されている。
このフェーズの特徴は大きく2つある。
- 音像の洗練:初期の粗さを残しつつも、ポップスとしての構造がより明確に整理されている
- 外部文脈への接続:映像作品やタイアップを前提とした音楽制作
しかし重要なのは、そうした変化の中でも電子音楽としての構築性が失われていない点である。
進化の本質──「成長」ではなく「拡張」
LAUSBUBの変化は単純な“成長ストーリー”ではない。
- 初期:ミニマルなテクノポップと実験性
- 中期:アンビエント化と空間性の獲得
- 現在:ポップスと商業文脈の融合
この流れに共通しているのは、常に「電子音楽としての構造」を軸にしながら、その適用範囲を拡張し続けている点である。
高校の軽音楽部から始まったプロジェクトが、そのまま現代の音楽産業の中核へと滑り込んでいくプロセス自体が、LAUSBUBの最大の特徴だ。
まとめ
LAUSBUBは、単なる若手バンドの成功例ではない。
それは、インターネット以降の音楽制作環境が可能にした「ローカルからグローバルへの即時接続」を体現する存在であり、その進化は今もなお継続している。
最新シングル期の彼女たちの姿は、「完成形」ではなく、むしろこれからさらに拡張していく途中段階として捉えるべきだろう。