近年の日本のポップミュージックシーンにおいて、ジャンルの境界を軽やかに飛び越えながら独自の居場所を築いてきたアーティストの一人がkiki vivi lilyだ。
福岡を拠点に活動を始めた彼女は、シンガーソングライターでありながら、R&B、ヒップホップ、ネオソウル、シティポップ、ジャズなどを自在に取り込み、国内インディーシーンの中でも特異な存在感を放ってきた。
初期の作品から一貫して感じられるのは、その「心地よさ」への鋭い感覚である。
Lo-Fiヒップホップやネオソウルに影響を受けたビートの上を、気だるくも繊細な歌声が漂う。派手なボーカルワークで圧倒するタイプではない。しかし、その自然体な歌唱と洗練されたグルーヴは、多くのリスナーを惹きつけてきた。
また彼女はソロ活動のみならず、多数のプロデューサーやビートメイカーとのコラボレーションでも注目を集めてきた。HIP LAND MUSIC周辺のアーティストや、新世代のビートシーンとの接点を持ちながら、自身のスタイルを少しずつ拡張してきたのである。
2022年のアルバム『Tasty』では、その魅力がさらに開花した。
R&Bやソウルを軸にしながらも、ポップミュージックとしての完成度を高め、kiki vivi lilyという名前をより広い層へ届けることに成功した作品だった。都会的で洗練されたサウンドは、彼女の代名詞とも言えるものになっていった。
しかし、その一方で近年の彼女の作品からは、単なる「チルな音楽」という言葉では括れない変化も感じられるようになっていた。
そして最新シングル『WARUIYUME』は、その変化を決定的なものとして提示している。
甘美な夢ではなく、悪い夢
『WARUIYUME』というタイトルは非常に象徴的だ。
これまでのkiki vivi lilyの作品には、夜のドライブや都会の灯りを連想させるような、柔らかく快適な空気感が漂っていた。
しかし本作は、その延長線上にありながらもどこか不穏だ。
楽曲全体を包むサウンドは美しい。
それでも、その美しさの奥に小さな違和感が潜んでいる。
夢のように心地よいはずなのに、なぜか落ち着かない。
タイトルにある「悪い夢」という言葉が、その感覚を見事に説明している。
これは幸福な時間を描く楽曲ではない。
むしろ幸福の裏側にある不安や孤独、拭いきれない感情の揺らぎを描いているように聴こえる。
進化したサウンドデザイン
本作で特に印象的なのはサウンドメイクの成熟だ。
初期作品ではネオソウルやLo-Fiヒップホップの影響が色濃く感じられたが、『WARUIYUME』ではより現代的なオルタナティブR&Bへと接近している。
空間処理はさらに繊細になり、余白の使い方も巧みだ。
音数を増やして豪華に聴かせるのではなく、必要最低限の音だけを配置し、その間に生まれる空気そのものを楽曲の一部として機能させている。
この感覚は海外のインディーR&Bやベッドルームポップの潮流とも共鳴している。
しかし単なる模倣にはなっていない。
kiki vivi lily特有の日本語の響きやメロディセンスが、しっかりと作品の核に存在しているからだ。
「心地よさ」のその先へ
kiki vivi lilyの魅力として長く語られてきたのは、その居心地の良さだった。
しかし『WARUIYUME』では、その武器だけに頼っていない。
心地よさを保ちながらも、その内側に不安や影を忍ばせる。
ポップミュージックとしての親しみやすさと、アートとしての実験性を両立させようとする意志が感じられる。
これは決して小さな変化ではない。
むしろキャリアの中でも重要な転換点と言えるかもしれない。
近年の国内シーンでは、R&Bやネオソウルをルーツに持つアーティストが数多く登場している。
その中で生き残るためには、単に心地良いだけでは足りない。
リスナーの感情を揺さぶる何かが必要になる。
『WARUIYUME』には、その兆しが確かに存在している。
kiki vivi lilyの新しい章
デビュー当初から彼女の音楽には都会的な洗練と親密さが共存していた。
しかし『WARUIYUME』では、その親密さがさらに深い場所へ向かっている。
誰にも見せない感情。
説明できない不安。
夜が深くなった時にだけ顔を出す心の揺らぎ。
そうした曖昧な感覚を、彼女は以前よりも鮮明に描けるようになった。
本作は派手な変化を見せるシングルではない。
だが、長く彼女の作品を追ってきたリスナーほど、その進化の大きさに気づくだろう。
『WARUIYUME』はkiki vivi lilyの新しい挑戦であり、同時に彼女自身の本質をより深く掘り下げた作品でもある。
心地よい夢の中で鳴っていた音楽は、今や悪い夢の気配さえも美しく描き出そうとしている。
その変化こそが、現在のkiki vivi lilyの最も魅力的な部分なのかもしれない。