近年、日本の音楽家が海外で高い評価を獲得する例は珍しくなくなった。
しかし、そのなかでも青葉市子の存在は少し特別だ。
SNSで話題になったわけでもない。
大型タイアップがあったわけでもない。
派手なプロモーションが行われたわけでもない。
それにもかかわらず、彼女はヨーロッパ、北米、アジアを巡るワールドツアーを成功させ、世界中のリスナーから熱狂的な支持を集めている。2025年には最新作『Luminescent Creatures』を携えた大規模なワールドツアーも実施された。
青葉市子の音楽は決して分かりやすくない。
アコースティックギターを中心とした静かな演奏。
囁くような歌声。
余白を恐れないアレンジ。
現代のポップミュージックが「強い刺激」を求める方向へ進んできたとするなら、青葉市子はその真逆を歩いてきた。
だが世界のリスナーは、その静けさのなかに普遍的な美しさを見出した。
言語を超えて届く音楽。
それこそが青葉市子の最大の魅力なのだろう。
『アダンの風』以降の新しいフェーズ
2020年に発表された『アダンの風』は、青葉市子のキャリアにおける大きな転換点だった。
沖縄や南西諸島の文化や自然から着想を得たこの作品は、架空の島を舞台にした壮大なコンセプトアルバムとして高い評価を獲得する。
そして『Luminescent Creatures』は、その世界の続編として構想された作品でもある。
青葉自身は「アダンの風から生まれた作品」と説明しており、失われた島や生命のその後を描こうとしたという。
つまり本作は単なる新作ではない。
青葉市子が長年描き続けてきたひとつの宇宙の続編なのだ。
おばけというもうひとつの物語
青葉市子を語るうえで、少しだけ触れておきたいプロジェクトがある。
それが「おばけ」だ。
青葉市子、
踊ってばかりの国の下津光史、
そしてGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー。
日本のアンダーグラウンドシーンを代表する三人によって結成された特異なユニットである。
ここで興味深いのは、それぞれが全く異なる音楽性を持ちながら、不思議なほど自然に共存していることだ。
下津光史のサイケデリア。
マヒトゥの詩的なノイズ感覚。
そして青葉市子の幻想性。
その交差点から生まれる音楽は、既存のジャンルに回収できない独特の美しさを持っていた。
記事中にはぜひこちらの映像を掲載してほしい。
青葉市子の現在の作風を理解するうえでも、この活動は決して無関係ではないように思える。
『Luminescent Creatures』レビュー
アルバムタイトルを直訳すると「発光生物」。
青葉市子は本作で、海中の発光生物から大きなインスピレーションを得ている。
しかしこの作品を聴いていると、それは単なる海洋モチーフではないことが分かる。
発光生物とは、自らの内側から光を放つ存在だ。
誰かに照らされるのではなく、自分自身が光る。
それは青葉市子が音楽に見出している理想そのものにも思える。
音が風景になる瞬間
本作でまず驚かされるのは音響空間の豊かさだ。
ハープ。
フルート。
ストリングス。
ピアノ。
そして静寂。
それらが互いに溶け合いながら、一枚の風景画のような世界を形成していく。
従来のポップスのように「メロディを聴かせる」作品ではない。
むしろリスナー自身がその世界へ入り込み、漂うことを求められる。
まるで海の中をゆっくり遊泳しているような感覚。
あるいは夢と現実の境界を歩いているような感覚。
その没入感こそが本作最大の魅力だろう。
世界を描く音楽
『Luminescent Creatures』は前作『アダンの風』ほど明確な物語性を持っていない。
その代わり、本作では生命そのものへと視点が拡張されている。
個人。
共同体。
自然。
海。
時間。
それらがひとつの循環のなかで結びついている。
だから本作は「歌」を聴くアルバムというより、「世界」を体験するアルバムに近い。
なぜ世界は青葉市子に惹かれるのか
海外リスナーの反応を見ても、本作は非常に高い評価を獲得している。コミュニティでは『アダンの風』と比較する声もありながら、その幻想的な世界観や没入感を称賛する意見が数多く見られる。
その理由は明確だ。
青葉市子の音楽には「説明」が少ない。
代わりに感覚がある。
風の匂い。
水面の揺らぎ。
木々のざわめき。
生命の気配。
それらは言語を必要としない。
だから日本語が分からなくても世界中の人々に届く。
『Luminescent Creatures』は、その事実を改めて証明した作品だった。
青葉市子はシンガーソングライターである前に、風景を描く人なのかもしれない。
そして本作は、彼女がこれまで描いてきた風景のなかでも、最も美しく発光する作品のひとつである。